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大原邸

印刷用ページを表示する掲載日:2016年4月1日更新

大原邸

「大原邸」は『居宅考(きょたくこう)』に、宝暦のころは相川東蔵(120石)が住み、東蔵が知行返上後、中根斎(家老新知350石)、岡三郎左衛門を経て、桂花楼となったとあり、御用屋敷桂花楼の場所であったと伝えられています。
 「町役所日記」によると、天保3年(1832年)に大手広場にあった牡丹堂に桂花楼は移り、その後は御用屋敷として続いていたようです。

 明治元年(1868年)の絵図では、大原家の屋敷となっています。嘉永(1848年から1853年)の藩士帳にみえる用人大原文蔵(200石)の屋敷地です。
 大原家が、いつごろからこの屋敷に住んだかは不明ですが、文政(1818年から1830年)以降と思われます。表に桁行八間半(15.46メートル)、梁行二間(3.64メートル)の堂々たる長屋門を設け、左手には桁行四間半(8メートル18センチメートル)の建物が取り付いていたようです。門から敷石伝いに真正面の式台玄関に達する。屋根は寄棟造茅葺とするが、入母屋造の屋根を正面にみせた幅二間(3.64メートル)、奥行一間(1.82メートル)の式台を構え、当時の格式の高さを示しています。式台玄関には、八畳の次の間から鉤の手に10畳(16.54平方メートル)の座敷に通じます。これら接客部分裏の居住部分が完全に分離される点も他の家と異なります。
 また、中島をもつ池は大きく、杵築の武家屋敷では最も整った庭園を有することも、当家が普通の武家屋敷でなかったことを物語ります。
 主屋は御殿の建物を移築したものと伝えられていますが、明らかではありません。建築年代に関する資料に欠けますが、19世紀中ごろ以前のものか、あるいは桂花楼のものでないかと思われます。
 一部を除いては旧状をよく留めており、屋根も残り少ない草葺で、風格をもち、庭園も立派で、杵築における最も貴重な遺構の一つです。

 城下町杵築の中核的施設として平成元年(1989年)から観覧のために一般開放され、年間利用者数は約46,000名を数えます。

開邸時間・拝観料

 開邸時間 : 9時から17時(入場は16時30分まで)

大原邸拝観料

個人団体(30人以上)
一般200円160円
小・中学生100円80円