高橋 草坪(たかはし そうへい)
更新日:2024年03月26日
夭逝(ようせつ)の画家 高橋 草坪(たかはし そうへい)

文化元(1804)年~天保6(1835)年
本名:元吉(もとよし)
杵築天満の人。
はじめ長谷部柳園について絵を学ぶが、田能村竹田(たのむらちくでん)が来杵の際に見いだされて入門し竹田(たけた)に行き修行し、腕を上げる。
後に、師に従い大坂へ出て活躍するが、32歳の若さで没する。田能村竹田の四天王の随一といわれた。
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更新日:2024年03月26日
文化元(1804)年~天保6(1835)年
本名:元吉(もとよし)
杵築天満の人。
はじめ長谷部柳園について絵を学ぶが、田能村竹田(たのむらちくでん)が来杵の際に見いだされて入門し竹田(たけた)に行き修行し、腕を上げる。
後に、師に従い大坂へ出て活躍するが、32歳の若さで没する。田能村竹田の四天王の随一といわれた。