現在の位置

杵築城下町のスポット解説「番所」

更新日:2020年07月20日

江戸時代、町の出入り口に設け、常に番人を置いていたのが番所(口屋)。出入りの人物と物資を監視し、時間になると大戸を閉じ、関所と同じように深夜の出入りを禁止した。杵築城下町には番所が6か所あり、自由勝手に城下町には出入りが出来なかった。

馬場尾口

馬場尾口

日出街道・高田街道(波多方往還)・国東街道(黒岩往還)などの主要な道の出入り口で、いわば陸の表玄関であり、外来者にとって唯一の出入り口である。はじめは松尾口といっていたが、松尾村が馬場尾村と改称されたことにともなって馬場尾口と改められた。

位置は札の辻の西端で、現在の祇園神社の前に番所があった。祇園神社は番所の外の空き地に勧請されたもので、町内ではない。そして、この辺りから松並木になっていた。古地図を見ると、番所の外側には、人家はなく街道が一筋あるだけである。

清水寺口

清水寺口

若宮八幡社に通じる口で、他領の者の通行はほとんどない。しかし、藩主休息所の「臥雲亭(がうんてい)」に近いので、出入りの監視のために設けられた。

北浜口

北浜口

現在の杵築幼稚園の斜め前にあった。谷町から酢屋の坂を登りつめ北浜に下る頂上部にあたる。現在ここにはバスターミナルに通じる道があるが、むかしは坂の頂上部から、まっすぐに北浜に下りていた。今もなお石段の旧道が残っている。北浜は城の裏門に通じ、大内・灘手方面に往来できる北の固めだった。

寺町口

寺町口

須賀や菊本・生地方面と、近松寺の渡しをへだて三川や東村方面への備えとして、寺町の下の端、つまり長昌寺の門の南下に番所があった。南台の家中と市街とに出入りする南の固めといえよう。

魚町口

魚町口

魚町と下町、そして谷川によって境され、土橋で続いていた。その土橋の北のたもとに番所があった。魚町は、この番所の外にあり、郭外である。しかし、町続きだから町方の支配内に編入され、夜間、番所は閉じられても、魚町の者のために小門が開かれていた。

御船手口

御船手口

海上の玄関口は城の鼻である。乗客や積荷などを検査するため、馬場尾口とともに、厳重な監視が行われていた。常に番人を置き、海上から船で出入りする人物や物資を監視し、今日の税関みたいな仕事もしていた。手形がないと上陸も乗船もできない、陸の関所と同じである。

(出典:杵築市誌)

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