三浦 黄鶴(みうら こうかく)
更新日:2018年10月05日
教育家、民政を安定させた郡奉行 三浦 黄鶴(みうら こうかく) 〔修齢(しゅうれい)また主齢(しゅれい)〕

明和元(1764)年~文政2(1819)年
国東市安岐町富永の人。
父梅園の学を継ぎ、また天文、暦学、算術、経史の学に通ずる。
七代藩主親賢(ちかかた)が子弟教育のために設立した藩校『学習館』に礼を以て教授に迎えられ城下に住む。
のち郡奉行を務め、農政・民政の安定、生産の増進で民百姓の信頼が厚かった。
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